一般社団法人福岡県私設病院協会様が2か月に1回発行している会報誌「福私病ニュース」において、弊所の弁護士が労務問題に関する連載を行っております。
連載中の記事を全文掲載いたします。
事例
寒さが深まる1月のとある午後、たくみ病院の事務長Tは遅めの昼食をとるために病院を出て「蕎麦 みや田」の暖簾をくぐった。
ここは昔からTの馴染みの店である。味は良いし、何より路地裏で小さな看板を出している店なので、病院の関係者と鉢合わせることが少ないのだ。
食事のときくらい仕事のことを忘れたい。常々そう思っているTであったが、今はつい先程まで行われていた会議のことを考えずにはいられなかった。
会議で問題となったのは看護師Jのことであった。Jは入社直後からうつ病を患っており、遅刻や欠勤を繰り返したり、患者や他の職員とトラブルを起こす問題社員であった。
入社から1年が経過した後にうつ病が悪化し、欠勤が続くようになったため、就業規則の規定に基づき6か月間の休職をとらせていた。休職期間は来月末で満了し、本人は復職を希望しているという。しかし、Jのうつ病が治癒したことを客観的に示すものは何もなかった。
たくみ病院の就業規則には、「休職期間が満了しても休職の原因となった傷病が治癒せず、復職の可能性がない場合には、解雇とする」という規定が設けられている。Jの直属の上司である看護部長は、この規定に基づいてJを退職させるべきだと主張している。しかし、Tは不安を拭うことができなかった。
「Jを解雇すればトラブルに発展するのではないか。」
Tは長年の経験からそう直感していた。
「どうしたものか…。」
そのとき、後ろから誰かがTの方を叩いた。総務部長のMであった。
M:「事務長、相変わらず暗~い顔をしていますね。」
T:「君、なぜここにいるのだ。」
M:「病院の周りをブラブラ散歩していたら知らないお店があったものですから入ってみたんですよ。いやー、行きつけにしたいくらい雰囲気のいいお店ですね。」
T:「それはやめてもらいたいものだね。」
M:「ところで事務長、どうせJのことで悩んでいるんでしょう?でも、その件なら心配は要りませんよ。」
T:「どういうことだね?」
M:「Jは休職前からトラブルの種でした。ご存知のようにうつ病は再発することが多いので、今回復職させたとしてもまた同じことが起こるでしょう。看護部長が言うように、これを機に退職してもらった方が病院のためです。」
T:「そうかもしれないが…。」
M:「Jは復職を希望していますが、うつ病の症状が回復しているという証明はありません。ですので、『休職期間が満了となるので就業規則により解雇します』という通知を送ればいいでしょう。そもそも本来であれば欠勤が続いた時点で休職などさせずに解雇するべきだったんです。仕事をしない従業員の面倒など見る必要などありませんから、これを機に就業規則から休職の規定を削除してはどうでしょうか?」
T:「しかし…。それって大丈夫なの?」
私傷病休職制度とは
医療・介護職は肉体的にも精神的にも強いストレスに晒されやすい職種だと言われています。
厚生労働省が公表した令和元年度の「過労死等の労災補償状況」によると、業種別の精神障害の労災請求件数が最も多い業種が「社会保険・社会福祉・介護事業」で256件(うち女性が186件)、2位が「医療業」で169件(うち女性が133件)となっています。
病院によっては、就業規則等に次のような規定が設けられているかもしれません。
職員が次の各号のいずれかに該当したときは、休職を命ずることがある。
①業務外の傷病により継続して30日以上欠勤があるとき
②精神または身体上の疾患により労務の提供が不完全であり、通常の業務が遂行できないとき
③自己の都合その他やむを得ない事由により30日以上欠勤したとき
・・・
このような制度を「私傷病休職制度」といい、大企業を始めとした多くの企業で採用されています。
「私傷病」とは、業務と因果関係のない怪我や病気のことをいいます。交通事故で怪我を負ったり、今回の事例のように業務とは関係のない理由でうつ病を患うようなケースが典型例です。
労働契約とは、労働者が使用者に労務を提供することの対価として使用者が労働者に賃金を支払う契約です。従業員が病気や怪我で業務を遂行できないということは、法律的にいえば債務を履行できていないということを意味します。したがって会社はその従業員との労働契約を終了させる、すなわち解雇することができます。このような解雇を「普通解雇」と呼びます。
では、法律上は普通解雇が可能であるにもかかわらず、なぜ多くの会社で私傷病にかかった従業員に対して休養の機会を与えているのでしょうか。
まず、私傷病休職制度が日本の長期雇用を前提としたシステム(いわゆる終身雇用制)と馴染みやすい制度であり、優秀な人材の流出を防ぐ機能を果たしていたという背景があります。一般的に勤続期間が長い従業員ほど長期にわたる休職が認められることも、このことが理由です。
より現実的な理由として、トラブル回避の観点からは、休職させた後に労働契約を解消した方が無難であるという理由もあります。就労能力が失われた場合であっても復帰の見込みがある限り、即時に労働契約を終了させるのではなく、まずは休職命令を出すべきと判断した裁判例もあります。
なお、私傷病による休職や復職について労働基準法に定めはありませんので、私傷病休職制度の内容はあくまで会社と従業員との合意によって取り決められます。
解雇か自然退職か
「たくみ病院」の就業規則では休職期間の満了が解雇事由として定められていましたが、これを「自然退職」の事由として定めることもできます。
自然退職とは、会社や従業員の意思表示とは関係なく労働契約が終了することをいい、使用者の意思表示により労働契約が終了する解雇と異なります。
普通解雇とする場合には、労働基準法が定める解雇予告の手続が必要となる、解雇権濫用法理の適用を受ける、助成金の申請において不利に扱われる可能性があるといった問題が生じます。したがって「休職期間満了時に傷病が治癒していないときは自然退職とする」と規定した方が適切ですし、実際に多くの企業ではそのような制度設計がされています。
もっとも、形式的に自然退職の扱いとしても裁判所が事実上の解雇に当たると判断する可能性もありますので実際の運用にあたっては注意が必要です。
治癒の判断
今回の事例で最大の問題点は、看護師Jのうつ病が治癒したかどうかをどのように判断すべきかです。
ここでいう「治癒」とは、健康時に行っていた業務を遂行することができる状態をいいます。
医師や看護師のようにもともと特定の専門的業務に従事することが想定されている場合(いわゆる「スペシャリスト」)であれば、本来の業務を遂行できる状態になっていることが基準となります。「職場に復職したものの、より軽易な事務作業しかできない」という場合には債務の本旨に従った契約内容の履行ができているとはいえません。
他方で、事務職のように契約締結時の業務内容に一定の幅がある場合(いわゆる「ゼネラリスト」)には、従業員の希望に応じて職種を変更しなければならないことがあります。
では、従業員が健康時に行っていた業務を遂行できる程度に傷病が治癒したかは「誰が」「どのように」判断すべきなのでしょうか。
まず、私傷病が治癒しているか最終的に判断するのは使用者である病院であり、治癒したという証明を行うべきなのは従業員本人です。なぜなら、従業員は私傷病により労働契約に基づく労務の提供ができていない状態にあり、私傷病休職制度は使用者が解雇を猶予するための措置としていわば恩恵的に療養の期間を与えているといえるからです。
復職の手続としては、休職期間が満了する前に医師の診断書を提出してもらったうえで本人と面談し、本来の業務を行うことができるか確認を行います。医師の診断書は復職の可否を判断するに当たって重要な判断材料になりますので、従業員の申告を鵜呑みにせず、必ず医師の診察を受け、診断書を提出するよう指示すべきです。このようなときに備えて、復職の判断のために指定する医師による受診と診断書の提出を命ずることができるという規定を就業規則に設けておくとよいでしょう。
もっとも、医師が「職場復帰は可能」という内容の診断書を書いたとしても、それが「債務の本旨に従った業務の遂行ができる」という意味であるとは限りません。前述のとおり、「治癒」といっても様々な可能が解釈であり、「軽易な業務であれば可能」という意味で「職場復帰は可能」と診断している可能性もあるからです。
何か問題があると感じたときには、従業員の同意のもとで主治医と面談を行って話し合いをすることも考えられます。
その他の問題
今回の事例に関しては、紙面の関係上触れることができなかった法的問題も多くあります。
一つは、業務と傷病との因果関係です。
今回はうつ病と業務の間に因果関係がないという前提で事例を作成し、解説いたしました。しかし実際には、長時間労働や上司からのハラスメントによりうつ病になったという主張が後から出てくるケースがあります。このように休職の原因が私傷病ではなく業務上の傷病である場合には、法律上の解雇制限が適用されるため、解雇や自然退職とすることはできず、休職中の賃金保障や損害賠償責任などの問題も生じます。
別の問題として、復職支援があります。
「治癒」とは、健康時に行っていた業務を遂行することができる状態をいうとご説明いたしましたが、現実には復職直後から休職前と全く同じ業務を行わせるのは酷であり、一時的に業務量を減らすなどの配慮が求められます。法的効果のあるものではありませんが、厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」で職場復帰の際にとるべき措置について詳しく説明されていますので、ご参照ください。
なお、総務部長Mが主張する私傷病休職制度の廃止は「就業規則変更による労働条件の不利益変更」に当たる可能性がありますので、一定の要件に該当する場合に限って認められます。「就業規則変更による労働条件の不利益変更」については本連載の第2回「経営の悪化を理由に就業規則を変更できる?」で詳しく説明しておりますので、そちらをご参照ください。
最後に
今回ご説明したとおり、私傷病休職制度は就業規則の規定を根拠に実施されるものですので、いざというときには就業規則の内容が問題となります。就業規則は従業員との労務紛争を回避するためのルールブックですので、万が一の事態を想定したうえで制度設計を行いましょう。
弊所では弁護士による就業規則の見直しや変更を承っております。少しでも気になるポイントがありましたらお気軽にご相談ください。
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